
価値のある人的資本開示に求められる「統合的ストーリー」と「定量的データ」とは?

経営DXコンサルティング部人財戦略・チェンジマネジメントグループチーフコンサルタントとして、人材と業務の両面からの改革支援を行う。行政機関、民間企業をクライアントとする。専門領域は、人的資本経営、人材戦略策定、人事制度設計、 雇用・労働政策に関する調査・提言、業務改革等。
人を「知識、技能、能力、資質等の付加価値を生み出す資本」とみなす人的資本(※)は、新たな投資対象、そして持続的かつ人を活かす経営指標として高い注目度を集めています。今後は、人的資本の開示による企業価値向上が重要になっていくと予想されるなか、日本企業はどのように開示を行なっていけばいいのでしょうか。人的資本経営を専門領域に、人事コンサルタントとして活躍する野村総合研究所の松岡佐知氏によるセミナーから、人的資本開示のエッセンスを紐解きます。
※参照記事:「人的資本 | 用語解説 | 野村総合研究所(NRI)」本記事はWevox主催のEngagement Run!セミナー「日本企業が向き合う人的資本情報の開示について」のダイジェスト版レポートになります。
なぜいま人的資本開示なのか?

松岡:最初に、人的資本開示をめぐる動向、そしてなぜいま人的資本なのかといった点をお話します。
米国市場では、企業価値評価の軸が有形資産から無形資産にシフトするなか、日本企業の時価総額に占める無形資産の割合は低いままです。無形資産の情報開示の充実が必要と指摘がされています。また、投資家は人的投資やIT投資など無形資産への投資を重視する傾向にあるなか、企業はいまだ設備投資を重視する傾向にあり、ギャップが生まれつつあります。

さらに、日本企業は人的投資(OJTを除くOFF-JYの研修費用)が対GDP比0.1%(2010-14年)で、近年は低下傾向にあります。アメリカ(2.08%)、フランス(1.78%)など先進国に比べとても低い水準となっています。
こうした国際的な動向を受け、2020年に人的資本に関する報告書として、経産省から「人材版伊藤レポート」(1.0)が公表されます。このレポートをきっかけに、国内でも人的資本への注目度が高まるようになりました。
そして、2022年8月には「人的資本可視化指針」(内閣官房 非財務情報可視化研究会)が発表され、日本における人的資本経営構築の両輪が揃います。ここで注目していただきたいのが、伊藤レポートをベースとした「経営戦略と人材戦略の連携」と人的資本可視化指針をベースとした「人的資本の情報開示」の2本立てとなっていることです。

冒頭述べた通り、日本ではまだ人材戦略が整っていない企業が多く、そうした中で人的資本開示だけを行なっても、国際社会の中では不利な状況になってしまいます。政府もこの点に関してはとても高い問題意識を持っています。ですので、まずは経営戦略と人材戦略を連携させるように方向転換し、そのうえでどう変わったかを評価してもらうために開示していく。こうした方針が、今年の8月に示されたというのが現状です。
この人的資本可視化指針には様々なことが書かれていますが、一言でまとめると「事業戦略と人材戦略の統合的ストーリー(独自性)と定量的データ(比較可能性)の両方をバランスよく開示する」と言えるかと思います。こうした大きな方針はありながらも、具体的な内容については各社の取り組みに委ねている形となっています。

人的資本開示は誰のためのものか?
松岡:人的資本の開示というと、多くの方が「投資家に向けたもの」という考えを持つかと思います。しかし、ステークホルダーは投資家だけではありません。投資家よりも大切と言ってもいいのが、内部ステークホルダーつまり従業員です。また、トップマネジメント層、そして外部ステークホルダーとして、就職先を探す労働者、地域社会なども含まれるでしょう。
こうした前提を踏まえ、日本企業が人的資本を開示する3つの意味を踏まえていただきたいと思っています。

1つ目は、「国が日本企業に求める改革のビークル」です。政府は、このままでは、日本市場はグローバル市場の中で存在感が小さくなってしまうという危機感を持っています。人的投資を促進することで、企業価値を高め、国際的な存在感を高めてほしいという意味合いが込められています。
2つ目は、「経営者意識改革」です。今後は労働市場を自然環境と同じ経営環境のひとつととらえ、ここから貴重な人材を借りているんだという意識を持つことが大切になってきます。そうした意識で経営を行い、人材に投資し、持続可能性へ貢献してほしい。そうしたメッセージが込められています。
そして3つ目が、労働者に対するメッセージです。個々人が企業で働くということは、その企業に一票を投じるという意味でもあります。そうしたときに、個々人が、自分が価値ある一票を投じるに値する企業であるかどうかを考えていくようになってほしい。そして企業は、その価値に値するような経営を行なってほしい。そうした意味合いも込められています。

こうした意味合いを踏まえ、経営者が人的資本開示を通じて語らなければいけないストーリーをまとめたのが上図です。先ほど人材戦略と経営戦略、事業戦略を連動させると言いましたが、それはあくまで出発点です。見直した人材戦略を着実に実行し、継続的に人材に投資をし、そして経営戦略を着実に実行していく。それにより、中長期的な企業価値の向上を実現していく。ここで得られた利潤からさらに人材に投資していく。こうした一連のストーリーが求められています。上図の右側のサイクルをいかに実行していくかが、鍵を握ります。
統合的ストーリーをどう構築していけばいいか?
松岡:では、具体的にどのような統合的ストーリーを構築していけばいいか。多くの企業が、人的資本開示の重要性は理解しつつも、実行段階で足踏みしているのが現状です。いくつか、参考となるフレームワークをご紹介します。
1つ目は、人的資本可視化指針に含まれる「英国FRC 人的資本に関する報告書」のフレームワークです。それぞれの項目に対して、質問がありますので、答えていくことで事業の方向性と人的資本のひも付き、そして必要なデータ指標などが明らかになっていきます。

人材版伊藤レポート1.0、2.0も、「3つの視点」「5つの共通要素」といった内容が参考となります。国が示すものなので、全ての産業、企業規模を対象としており自社にどのように取り込めばよいか分かりづらい部分もあるかと思いますが、「日本企業は今後こう変わってほしい」という大きな方針ではあるので、自社のチェックリスト、あるいはアイデアの引き出しのような形で活用していただくのがよいかと思います。

比較可能データの継続的開示をどう行えばいいか?
松岡:つづいて、比較可能データの継続的開示についてです。こちらについても、いくつかの国際基準、フレームワークがありますので、それらを参考に開示項目を検討していくのがいいかと思います。人的資本可視化指針の中にも、開示事項に関する参考資料が掲載されています。
自社にとってふさわしい国際基準、フレームワークを選ぶのがポイントです。自社軸がとても重要になってきます。ただ、現実的にはISO30414を基準に検討していくことが、私たちが支援する企業でも多いのが現状です。

ISO30414には11カテゴリ58指標があります。ただし、各指標の目標基準値は設定されていませんので、各指標の水準や指標化の関係性の意味付けは企業の主体に委ねられています。ここが、多くの企業が頭を抱えるところではありますが、現状として認識いただければと思います。
それから、制度開示やその他法律で定められた開示項目もあります。これらはどの企業も開示するということで、投資家の間でも企業間比較の対象となる可能性は非常に高いです。特に気をつけながら、人的資本開示に盛り込んでいく必要があるかと思います。

国内外の事例とNRIの支援ケース
松岡:国内の人的資本開示の例としては、人的資本可視化指針にも事例として紹介されている日立製作所の事例は参考になるかと思います。事業ポートフォリオの転換のために、人材ポートフォリオ改革も進められており、これらの流れを統合的ストーリーとして開示しています。人的資本可視化指針に詳細が掲載されているので、ぜひ御覧ください。
また、国外の事例ですとドイツ銀行の報告書が大変参考になります。世界で2番目にISO30414認証を取得されました。大規模なリストラを実行する中で、それらが事業戦略とどう連動しているのか、これからどういう人的投資を行うのかなどを、ポジティブなストーリーとして開示しているのが大きな特徴です。
それから、エンゲージメントスコアを測定し、どのように組織のエンゲージメントを上げていくかといった具体的な施策も盛り込んでいます。こうした前向きな改革を打ち出す方法は、参考にはなるかと思います。
最後にNRIが行なっている、人的資本開示を契機とした人材戦略見直しのご支援事例をご紹介します。

まず、ご支援にあたって取り組むのが現状診断です。比較可能データと統合的ストーリー、この2つの現状診断を行います。その結果を踏まえて、将来的なロードマップを引きます。ここまでをフェーズ1としています。
そしてこのロードマップをもとに、人材戦略策定や開示コンテンツ制作などを進めていきます。時間がかかるケースが多いですが、現状診断から始めることで、本日お話したような価値のある人的資本開示の実現をご支援させていただいています。
以上、「日本企業が向き合う人的資本情報の開示について」をテーマにご説明させていただきました。ご静聴ありがとうございました。







